サン=トゥアン (Saint-Ouen)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=サン=ドニ県のコミューン。
地理
サン=トゥアンはパリ郊外(バンリュー)にある。コミューンの南部でパリ17区、パリ18区と接しており、ポルト・サン=トゥアンを通じて往来が可能である。西側のクリシーや東側のサン=ドニとともに歴史的なペイ・ド・フランス地方の南の一部である。
1860年、アドルフ・ティエールが築いた防衛用の市壁であるティエールの城壁(fr)の内側にあったコミューンはパリに併合された。このとき、かつて独立したコミューンであったモンマルトル及びラ・シャペルの各一部が市壁の外側にあったことから、これらの領域がサン=トゥアンに併合された。
交通
- 道路 - ペリフェリック、A86、高速道N14
- 鉄道 -
- パリメトロ13号線 -メリー・ド・サン=トゥアン駅、ガリバルディ駅(パリ市内のポルト・ド・サン=トゥアン駅やサン=ドニ市内のカルフール・プレイエル駅のほかパリ市内のパリメトロ4号線ポルト・ド・クリニャンクール駅も近接している。)
- RER C線 -サン=トゥアン駅
歴史・経済
コミューンの名は、ヴィッラ・クリッピアクム(Villa Clippiacum)で死去したルーアン司教であった聖ウアンに由来する。イングランドでは聖オーウェンと呼ばれた聖人の遺物は、カンタベリーへ運ばれた。聖人のラテン語名はAudœnus Dadoといい、サン=トゥアン住民がオドニアン(Audonien)と自称するのはこのためである。686年に聖人が帰天後、ウアンが暮らした家は巡礼地となり、小さな村は信仰の中心地となっていった。メロヴィング朝時代、王家のヴィラが建てられてからサン=トゥアンの歴史が始まった。ダゴベルト王時代の名をクリッピアクムといった。
フランス革命中の1793年、コミューンの名はバン=シュル=セーヌ(Bains-sur-Seine)と改名された。
1830年、川港とドックが完成した。これによりサン=トゥアンは川の駅として目覚しい経済発展を始めた。1862年にこれらはパリ北駅やパリ東駅へ向かうプティト・サンチュールと連結された。化学工業、金属加工業が伸びて好景気は第一次世界大戦末期まで続いた。1960年代から1980年代まで産業の空洞化を経験し、経済基盤が一新された。現在はコミューン内に32,000人を雇用する3,300箇所の事業所がある。
みどころ
- 蚤の市 - サン=トゥアン市内クリニャンクールで毎週土曜日・日曜日・月曜日に開催され、世界中から古物商が集まる。
- サン=トゥアン城 - 17世紀。一時はポンパドゥール夫人やジャック・ネッケルが所有した。現在はコミューンが所有し、地元歴史博物館となっている。
- スタッド・ド・パリ - サッカークラブレッドスターFC93のホーム・スタジアム
姉妹都市
- テルニ、イタリア
- サルフォード、イギリス
- ルセ、ブルガリア
- ポドリスク、ロシア
出身者
- ジミ・トラオレ:サッカー選手
- アンドレ・ルデュック:自転車競技選手
- マチルダ・メイ:女優、歌手
脚注
外部リンク




