マイケル・オーガスト・ティムリン(Michael August Timlin、1966年3月10日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ミッドランド出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入りとブルージェイズ時代
1987年のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズからドラフト5巡目で指名され契約。
1991年4月8日にメジャーデビュー。先発登板は6月の3試合のみで、60試合にリリーフ登板。リリーフとしてマイク・ヘンネマンとともにリーグ最多タイの10勝を挙げた。
1992年のワールドシリーズで優勝投手となるなど、ブルージェイズのワールドシリーズ優勝に貢献。
1996年にクローザーとして31セーブを記録。
マリナーズ時代
1997年7月31日にホセ・クルーズ・ジュニアとのトレードでポール・スポヤリッチとともにシアトル・マリナーズへ移籍。
1998年はシーズン半ばからクローザーとして起用され、19回のセーブ機会のうち18回でセーブを記録。オフにフリーエージェント(FA)となった。
オリオールズ時代
クローザーとして起用を約束してくれた唯一のチームであったボルチモア・オリオールズへ4年総額1,600万ドルで移籍した。
1999年は、クローザーとして開幕から登板。不安定な投球が続いたが、後半戦は防御率1.40・18セーブと復調。
カージナルス時代
2000年7月29日にクリス・リチャードとマイナーリーガー1人とのトレードでウィル・クラークと共にセントルイス・カージナルスへ移籍。移籍後はデーブ・ベレスへ繋ぐセットアッパーとして起用された。
フィリーズ時代
2002年7月29日にプラシド・ポランコとバド・スミスとともにスコット・ローレンとダグ・ニックルとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。
レッドソックス時代
2003年以降はボストン・レッドソックスでプレー。
2004年と2007年にはレッドソックスでもワールドシリーズ優勝を経験している。
2005年にはリーグ最多の81試合に登板し、シーズン後半には故障したキース・フォークに替わりクローザーとして13セーブを記録。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された。同大会では3試合にリリーフ登板した。
2007年は肩の痛みに悩まされたが、8月以降は痛みが取れ球威が戻った。8月31日には通算1000試合登板を達成。2008年終了時点で通算登板試合数が1058試合となり、メジャー歴代7位にランクインした。
2008年オフにFAとなる。
ロッキーズ傘下時代
2009年7月29日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだが、8月15日に自由契約となり、引退した。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 40(1991年 - 2000年)
- 50(2000年 - 2008年)
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 T
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



